刺青歴史

日本芸術刺青歴史
2018年11月2日

刺青歴史

日本の伝統刺青が急成長した時代は、江戸時代と言っても過言ではないでしょう。
町の火消し衆を始め、粋な江戸っ子たちは絢爛豪華な自分の刺青を惜しげも無くさらし、喧嘩や仕事に明け暮れたと言います。

そんな刺青も現代とは少々印象が変わってきていると思います。

威勢の良い日本男児の象徴として、刺青が辿ってきた歴史の一部をご紹介します。

※文中の画像は全て日盛の作品です。

火事と喧嘩は江戸の華

日本伝統刺青が最も流行した時代、江戸時代。江戸ではもう一つ流行していた出来事があります。それは『火事』です。

当時の江戸の町並みは、紙(障子)と木(木造建築)で出来た小さな長屋が密集していました。

それに加えて放火事件も多発し、世界で類を見ないほどの火事件数を誇った時代と地域だと言えます。

慕情の余り放火をしてしまう悲しくも艶やかな町娘、刺青の題材として有名な『八百屋お七』も、この時代に実際に起こった放火事件です。

火消し衆の活躍

背中用刺青原画 九紋龍史進

背中刺青 花和尚魯智深

 

 

 

 

 

あまりに頻発している火事を命懸けで鎮火した江戸時代のヒーロー達が火消し衆です。

火消し衆は、自分自身の顔が焼けただれて死んでしまっても自分達を識別できる様に、皆思い思いの刺青をこぞって入れました。
皆命を張って仕事をする際に自身を発奮させる為に龍や虎、水滸伝で有名な九紋龍史進や花和尚魯智深などの勇猛な人物がの図柄を好んで入れたといいます。

火消し衆の刺青が半袖~太腿の胸割りの理由

背中刺青 虎

 

 

 

 

 

背中と胸割りで半袖、太腿まで仕上がった図柄は、実はちょうどハッピで隠れる範囲です。
命がけの仕事を成功させて、ハッピをはだけて自分の守り神を見せて悠々と生還する様はまさに江戸の粋だったのでしょう。

また、水滸伝の猛者達が人気を博したもう一つの理由として、体制に対する反骨心もあったと言われます。
江戸時代は身分による差別が横行していた時代であり、支配階級の侍や武士達に対して、悪い役人を懲らしめる水滸伝の武君を自分に重ねたのでしょう。

祭りの神輿の上で、町人として、江戸っ子の誇りとして自分の彫り物を誇示することは、一つの主義主張だったのかもしれません。

江戸~明治 弾圧される刺青

江戸後期から明治にかけて、こういった印象のものは反社会的であるとして弾圧されました。
幕府~政府から何度も刺青禁止令が発布されます。

今でこそ刺青を入れることは個人の自由ですが、この刺青を廃絶しようとする風潮に対し、それでも入れたいという猛者は後をたちませんでした。

そして彫師もアンダーグラウンドな職人仕事として、表舞台に出ることも少なく、脈々とその技術を後進に伝え続けて途絶えなかったのです。

現代でも刺青を入れるハードルは高いですが、この時代にはかなわないでしょう。

戦後 日本人の誇りと強さの誇示

第二次世界大戦の敗戦後、景気低迷のドン底にいた日本は、それでも力強く毎日を生きていきます。

この頃の日本には沢山の占領軍が駐屯していました。

こうした占領兵たちの中のならず者から市民を守ったり、混乱するコミュニティの秩序を保つために、用心棒的な存在を担ったのが渡世人です。

渡世人の生き方

渡世人は、図らずもその存在において占領兵やならず者の抑止力となりました。

孤独ながらも強く生きていくその姿は、敗戦国日本の今後あるべき姿の象徴だったのかもしれません。

アウトローの象徴として、渡世人の背中や腕に映える伝統和彫りの刺青には、強い日本の誇りが表れていたことでしょう。

現代 自由な社会と刺青

終戦後、GHQの引き上げと同時に日本国憲法が制定され、日本国民の自由が保障される現代がやってきました。

しかし刺青は、まだまだ自由度の高いものではないのが現状です。

海外ではドラマに出演している主演俳優がタトゥーを隠さずにTVに出ている時代ですが、日本ではやはりまだ社会的に理解されづらいものです。

しかし、だからこそ、魅力的なのかもしれませんね。

我々彫師はタトゥーアーティストとも呼ばれるように、芸術(アート)を創作するつもりで作品を作り上げています。

絵は財産があれば買えますが、刺青は痛みに耐えて完成させることで自分だけのオリジナルなアウトローアートが完成するものです。

ただでさえ、刺青を入れている人は少ないうえに、自分の気に入った図柄を纏うというのは、現代だからこその新しい刺青へのアプローチなのかもしれません。

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